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井上 健(いのうえ たけし、1928年9月30日 - 1992年4月5日〔日外アソシエーツWhoplus「井上 健(イノウエ タケシ,日本サッカー協会理事,日本サッカーリーグ総務主事)」整理番号387304〕)は日本のサッカー選手、日本サッカーリーグ(JSL)第3代総務主事。 ポジションは主にハーフバック(現在のミッドフィールダー)。正確なボールコントロールとキックを持ち味とした。守備だけでなく攻撃も得意で、時にはインナーフォワード(現在の攻撃的MFに相当)としてもプレーした。 == 経歴 == 1928年、兵庫県西宮市に生まれる。1947年春に兵庫県立第一神戸中学校 (現:兵庫県立神戸高等学校) を卒業。大学は一旦は医科大学に進学するも、サッカーをやりたい一心で関西学院大学に入りなおした。サッカー部のチームメイトには長沼健、平木隆三らがいる。卒業後、1952年から1960年までは新三菱重工でプレーし、1956年の都市対抗選手権準優勝などの成績を残す。 日本代表としても1953年から1954年までプレーし、1954 FIFAワールドカップ・予選の1954年3月7日の韓国戦の1試合目で国際Aマッチ1キャップを記録した。また、1953年には西ドイツのドルトムントで開催された国際学生スポーツ週間(ユニバーシアードの前身)の日本代表に選ばれた。この代表は後年に関係者が「戦後第一期サッカー士官学校生」と言い表したように、単に試合をするだけではなく、将来の日本サッカー界を担う人材にヨーロッパで見聞を広めさせることも目的としていた。 引退後はしばらくサッカー界から離れていたが、1972年から1976年までJSL第3代総務主事、1974年から1983年まで日本サッカー協会理事を務めた。 1992年に死去、享年64歳。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「井上健 (サッカー選手)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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